新しい月を迎えて

大人の側の

だいさんへいわ 新しい月を迎えて

先月のペンテコステ礼拝にあわせて、どうしても赤い大きな花を飾りたいと、アマリリスの球根をクラスの保育者に託しました。水をやり、室内で日の当たる場所に置いて、様子を見ました。とてもよく咲いてくれました。
ただ、一週早く盛りを迎えてしまい、なかなか人の思い通りにはいかないことを知ります。
 
保育の毎日もそうです。
なかなか大人の意図したところに響かない場合があったり、また、たくさんの「ぼくはこうしたかったのに!」がぶつかり、トラブルになったりということもあります。問題の多くは、大人の側の即効性を期待する難しさにあると思っています。
伝えるタイミングや伝え方、伝える人、いろいろなアプローチがあって、良い方向を探ることが大切だと考えます。園では、怪我につながらないよう注視しつつ、子どもの思いには時間をかけて向き合うこととしています。
 
今月は個人面談をすごします。
新しい一日の生活が整ったところで、ご家庭とクラスの保育者と思いを分かち合う機会を持つことができて、うれしく思います。
すでに、ご家庭からいくつかの相談をいただいています。
あわせて、こちらもクラスでの様子をお伝えできればと思います。
 
6月、花の日礼拝をおこないます。
聖書に「野原の花がどのように育つのかを考えてみなさい。」というイエス様の言葉があります。
小さな野の草でさえ、神様は色どりや美しさをもって装ってくださいます。神様は私たちを顧みないはずはありません。
子どもたち一人ひとりの持つ美しさを喜び、
そして、神様はすべて違う仕方で育まれることを知ります。
良い時間がすごせれば、と願います

生命の勢いが溢れ

だいさんへいわ 新しい月を迎えて

園庭の緑もぐんぐんと鮮やかさを増して、子どもたちの元気に呼応するかのようです。
もう既に庭のレモンの木にアゲハ蝶が来ています。
この夏にかけて生命の勢いが溢れ、毎朝子どもたちと何を楽しみとしようか迷うほどです。
天気の良い日は、園庭も屋上も一階のテラスもフル活用してすごしています。
乳児クラスは自分で靴を履くことが一つのハードルとなります。
ちょうど園庭に出る手前のベンチに座り、大人の手助けを待って、自分の靴を見つめたままの子どもがいます。ある時は待ってみて、ある時には手伝いをしながら・・・、子どもが自分でできる機会を守ることもクラスの課題です。

さて、先月はイエス様の復活の喜びを共にしました。
今月はキリスト教の三大祝日の一つペンテコステ(聖霊降臨日)を祝います。
イースターから50日目に目に見えない神さまの力が与えられた日を祝います。
この日から様々な国の言葉でイエス様を伝えていくことが始まったことから「教会の誕生した日」ともいわれます。
「聖霊が降った時、炎のような舌が分かれ分かれとなって、弟子たちの上にとどまった。」ことを記念して、赤いものを連想する飾りを用います。

「連休明けから、新型コロナ感染症も感染症法上の位置づけが変更されました。
ひき続き消毒、換気、手洗いの励行など、基本的な事項は続けてまいります。
礼拝の場でマスクなしで子どもたちの前に立つと、
あれ、せんせいマスクわすれてるよ!」と声があがりました。それだけ、マスク着用が習慣化しているのですね。
ときにマスクを外してすごすこともお許しいただき、
精一杯の笑顔で子どもを迎えます。

子どもの育ちの伝え合い

だいさんへいわ 新しい月を迎えて

 これまでの自分の安心できる場所、人、時間が存在している。その自分の居場所から離れて、すごす。
 生活の場が徐々に広がって、保育園もその居心地の良い安心できる環境となりますよう丁寧に育んでいきたいと思います。
 そのために、子どもの育ちの伝え合いが不可欠になります。これから子どもの生きる力のすばらしさに感動し、喜び合う機会をご一緒させていただきます。
 長いおつきあいになります。
 どうぞ気兼ねなくお声かけください。
 よろしくお願い申し上げます。

 さて、この春の季節はキリスト教の暦では、復活日(イースター)が祝われます。
 イエス・キリストは十字架の死後、かたい墓におさめられ、三日目によみがえられました。
 この十字架のイエス様によって、一人一人が新しく変えらたことを喜び祝う日です。
 イースターのお祝いに、たまご探しのレクリエーションを行います。(たまごカプセルを用います。)
 たまごは復活の象徴です。たまごはかたい殻に覆われて、一見すると死んでいるようです。その中に新たな命の始まりが確かにあることから、伝統的にたまごを飾りとして用います。

共に育まれたことに感謝

だいさんへいわ 新しい月を迎えて

 桜のつぼみも膨らみ、一気に春めいてきました。
 4月の頃は這い這いですごしていたひよこクラスの子どもたちも、今では自分たちの靴をもって、力強い足どりで園庭に向かいます。
 園庭に出ますと大きいクラスの子どもたち同士で、さんびか「ちいさいいのちが」を歌いながら、園庭の地面を掘り起こして、虫たちが目を覚ますのを楽しみにしている姿に、こちらもうれしくなります。
 目に見えない大切な世界に子どもたちが目を向けている。私たちが日ごろ子どもと共に心にとめたい点です。
 先日のおやこ交流会でのこと、お子さんと並んで立った保護者の方が自己紹介でこうおっしゃられました。
 「この子の好きなところは、私のことを好きと言ってくれるところです。」
思わず拍手をしてしまいました。
 親子でお互いに響き合っているという尊さに、保育者は励まされました。

 今月は、ばら組27名が卒園を迎えます。
 この保育園も生まれて6年。よい出会いが与えられ、保育者も子どもも共に育まれたことに感謝しています。
 「この子たちにできるだろうか」
 行事の企画や日常の保育者の提案に、何度心配し、その後に自分の想像力の未熟さを思い知らされたか、わかりません。
 この保育園を心の拠り所として、元気にはばたいていってほしいと願います。
 残りのひと月も、その日一日を丁寧にすごしていきます。

 春の穏やかさの中に今年度を無事に終える感謝を思って止みません。
 皆様、本当に一年間お支えをいただき、ありがとうございました。

おやこで喜びをご一緒に

だいさんへいわ 新しい月を迎えて

 季節の暦のとおり、先月には厳しい寒さがきて、今週あたりから少しずつ春の兆しが見えてきました。これからは陽の暖かさにほっとする日も多くなりますね。
 小春日和の築山にひよこ組、うさぎ組さんがうれしそうに登ったり下りたりしています。
 
 先日、ばら組さんが下のクラスの子どもたちのために、出前コンサートをしてくれました。保育者に聞いたところ、おんがくの時間に教わったダンスとさんびかを自分たちから進んで見せたいと伝えてきたそうです。
「園長先生もよかったら、見に来られますか」と大人のようなお誘いかけに、うれしい思いで参加させていただきました。自信をもって披露したその姿に、しっかりと心が育っているのだと安心しました。
 
 保護者の皆様には先日の個人面談にて、貴重なお時間を頂戴しました。ありがとうございました。日頃、送り迎えの短い時間ではうかがい知れないお家での様子やご苦労などを聴かせていただきました。多くの励ましの言葉もいただき、感謝です。
「家庭ではどうしてもスマホに頼ってしまいます」
多くのご家庭のご意見でした。デジタル社会にあって、スマートフォンは欠かせないものです。
保育園の生活の中では、今のところデジタルなものに触れる機会はありませんが、やがて、そうも言っていられない時代がくるかもしれません。
 
 次のおやこ交流会では、「おやこで喜びをご一緒に」ということがテーマになっています。是非、子どもたちの日頃の活き活きとした姿をご覧いただくと共にお家の方も一緒になって、楽しい時間をすごしていただきたいと願っています。
保護者の方同士も、直接お話が弾むと良いと願います。
マスク越しでの交わりが続きますが、少しでもお互いを知る機会になりますように

子どもに流れている時間で考える

だいさんへいわ 新しい月を迎えて

笑顔から良い時間をご家族ですごされ、心が満たされていることを感じます。
このところ新語「タイパ(タイムパフォーマンス・時間対効果)」のことをよく耳にします。
かけた時間の中でいかに満足が得られるか。会議の効率化や趣味などに意識されるようです。
保育園の営みも効率化の波が来ています。ICTを活用した記録の提出や出欠管理など、子どもたちに直接関わらない部分をいかに効率的にして、子どもの育ちに向き合う時間に充てられるかということを考えるようになりました。
一方、保育現場にて、子どもと関わることに時間の基準を当てはめていくのは難しく感じます。大切なことは子どもに流れている時間で考えるということだと思います。
今の子どもの様子をよく見て、よく考える。一人ひとりの子どもの育ちを焦らずにじっくり待ちたいと思います。本年もおうちの方皆様と共に子どもの育ちを喜びとする毎日を過ごしてまいります。
これまでと変わらぬお支えをよろしくお願い申し上げます。

アドヴェント

だいさんへいわ 新しい月を迎えて

 クリスマスまでの4週間をアドヴェント(待降節)といいます。聖書の時代に救い主の到来を長い間待ったことが起源になっています。保育園ではアドヴェントカレンダーを飾り、一日一日数えて過ごします。
 
 この時期には乳児クラスもアドヴェント礼拝をして、聖書のお話を聞いています。心に留めたいのは、クリスマスの出来事は小さいもの、貧しいもの、自分ではどうすることもできない暗闇を抱えているものにこそ与えられる喜びであるということです。
 神さまの前では、私たちも子どもの一人だとされます。
 ですから、保護者の方にもこの喜びの日を知っていただくために、少しずつ飾りを増やし、子どもからおうちの方に伝わるものを大切にしたいと思います。
 
 クリスマス会でばら組はページェント(降誕劇)をささげます。
 子どもたちは自分の役を演じることで2000年前の出来事を体験します。
 そして、わたしたちはそれを見ることにより、神さまから自分に与えられた恵みとして、味わいます。
 
 聖書に「今日、ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(ルカによる福音書 2章11節)とあるとおり、他の誰でもなく、このわたしのために救い主が生まれてくださった…。
 職員もお家の方もご一緒に子どもから教えていただく機会。それもクリスマスの喜びの一つであると確信しています。クリスマスおめでとうございます。

違いのひとつひとつをも

だいさんへいわ 新しい月を迎えて

 色鮮やかな紅葉がうれしい季節です。
 今年も無事にプレイデイを終えることができました。
 ゆり組、ばら組のプレイデイでは、子どもと保護者の方で何度も目を合わせ、手を振り、喜びの姿を表してくれました。
 思い起こせば幼いころお家の方と離れがたく泣いていた時期もありました。しかし、この日、目に見えない親子の心の距離は近く、安らかさが確かにあった…。
 送迎時のみ許された親御さんと共にある姿は、私たちが子どもたち一人一人を深く知る意味でも豊かな時間となりました。
 今回、残念なことにすべての方に直に見ていただくことが叶いませんでした。ひと月の間は映像を通して、一端をご覧いただきますように。
 さて、11月に入り収穫感謝礼拝をささげます。命を得させてくださる神さまの愛に私たちは「ありがとう」という言葉と共に過ごします。
 今年はじっさいに口にする野菜をならべ、色や形、重さや香りを感じながら礼拝をささげます。
 午後にはそれをそのまま野菜ビュッフェにして、いただこうと決めました。
 そのものの味、それぞれが持っている風味、個性。
 私たちもまた、神様につくられた違いを思います。
 違いのひとつひとつをも大切にする体験を通して、いよいよ待降節、クリスマスへと向かいます。

ずっと憶えていてほしいなぁ

だいさんへいわ 新しい月を迎えて

 園庭の金木犀も香り、一気に秋の深まりを見ています。
八月からの延期により、ひと月我慢した「ばら組おたのしみ会」を無事に開催することができました。
 その日の夕食のパーティーでのこと、隣に座った子が伝えてくれました。
 「もう外は夜じゃない?こんなに楽しいことが続くなら、きょうは保育園に泊まるしかないよね!」
 気持ちが高まっての提案に、ついつい私も
 「そうだね。それはいいアイデア!」
 と頷いてしまいました。
 ここ三年はあすなろキャンプに行くことが叶いませんでした。
 しかし、この日はいつもの保育園が別世界に映ったのではないでしょうか。
 キャンドルサービスのひかりの明るさ、自分たちで作った焼きたてのパンの香りと味、保育者に洗ってもらった足湯のくすぐったさ、ランタンで見つめた星の輝き・・・、子どもたちにずっと憶えていてほしいなぁと願います。

 そして、今週は「第六回わくわくプレイデイ」を開催します。

 プレイデイは、子どもの成長を感謝し、子どもたち同士の関係を深く知っていただくよい機会と考えます。
 「子ども大人も、勝っても負けても、みんなでわくわく」のわくわくプレイデイを過ごしたいと思います。

このさんびかをうたうと、

だいさんへいわ 新しい月を迎えて

 暑さもひと段落といったところでしょうか。
 八月の下旬から、園内に広がった感染症につきまして、皆様にご心配をおかけしました。また、多くのご家庭にご協力いただきました。感謝申し上げます。
 
感染警戒期間中は、クラスごとに小さな礼拝をささげました。さんびか「キリストのへいわ」を歌おうとしたときのことです。
  「このさんびかをうたうと、
  なぜだかわからないけど
  なみだがでてくるんだ。」
 ゆり組の子がポツリとつぶやきました。
このさんびかには幼い子どもの心に響くものがあるということがわかりました。
 
 キリストの平和が/わたしたちの心の
 すみずみにまで/ゆきわたりますように
 (こどもさんびか キリストのへいわ)

 歌っていると涙が出てしまう。その子どもの感性のすばらしさにわたしも思わず嬉しくなりました。もしかしたら、ご家庭で別の楽曲を耳にして、「この曲 素敵じゃない。泣けてきちゃう。」などと話しているのを聴いたことから、そういう表現が出たのかもしれません。
 メロディなのか歌詞なのか、その子の心を打つものがある。音楽に触れることの大切さを感じずにはいられません。子どもの感性に触れたときには、できるだけお家の方とご一緒に喜びを共有したいと願います。
 これは、音楽に限ったことではありません。保育園には、そういった瞬間が数多くあります。
 秋、冬の行事は、子どもの小さな喜びに触れる機会を 共に味わいたいと願います。

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